実家が近くて、小さい頃は毎週会っていた母方の叔父。
今年に入ってその叔父さんが天国にいきました。
叔父さんが亡くなって半年。あらためてちょっと思い出してみた。気持ちの整理もしながら書いてみたいと思った。
半年たって
叔父さんは、去年の今頃、ちょうど体調を崩し始めた頃だった。
お産で実家に帰っていたので、車で5分、病院に行けば会うことはできた。
何度も会いに行こうと思った。でも行かなかった。
母は週に何度もお見舞いに行っていたので、その度に様子が気になって聞いていた。
なのに、
私は行かなかった。
余命が分かって家で過ごしている時に会って以来、入院してから一度も会いには行かなかった。
なぜお見舞いに行かなかったのか。
人はいつか死ぬ。
生まれて1日目かもしれないし100年目かもしれないしわからないけど、いつか別れる時がくる。
いつ別れの時が来るかはわからない。
そんな時が来るのは嫌だけど。
でも、その最後の瞬間がどんな瞬間だったのか。
その瞬間が笑顔で別れられることはどれくらいあるだろう。
叔父さんに最後に会った時、叔父さんははつらつとして笑顔だった。
そのこと、大事にしようと思った。
かっこいい紳士なおじさん
叔父さんは背が高く、脚が長い。
背筋がピンとしていて日本人の両親らしいが少し目が青くてハーフ顔で、会うといつもニコッとして、いい声で私の名前を呼んでくれる。
田舎ぐらしだけど、オシャレで、革の素敵なカバンを持ち、ループタイをして片手にはいつも本を持って電車に乗っている紳士のイメージ。
車社会の田舎なのに、車の免許は持たず、いつもビシッときめて30分に一本の電車に乗って出勤する高校の先生。
高校の頃、叔父さんと電車でよく会った。
年頃だったから、気づかないふりしたり、会釈をするくらいだったけど、シュッとしたおじさんも、にこっと笑いかけてくれるくらい。そんな仕草もかっこいい。
ひと時代前の村長さんの家に育った叔父さんは品のいいお坊ちゃん気質。
グルメで、おいしいものが大好き。
お酒も大好き。親戚で集まった時など酔っぱらうとちょっと赤ら顔になるけど、お酒はとっても強くて陽気にお酒をみんなと酌み交わし盛り上げる。
私たちの結婚式でも、ニコニコ飲んでいたのはつい7年前の話。
叔父さんは退職後、おいしいものを食べに行ったり、好きな歴史の研究や、木彫りをしたり、本を読んだり、人生を楽しんでいることが伝わってきた。
いつ会ってもニコニコと、余計なことは話さずこちらを気遣う言葉をかけてくれるだけ。
そんな叔父さんが、ガンと分かったあと、
手術も積極的な治療も拒否したと聞いた。
手術は手遅れとも言われたが家族は少しでも望みがあるのならどんなことでもしたい、と親戚の医者をたどって病院を探したり、
抗がん剤治療で少しでも長く生きて欲しいと治療法を探したり、
セカンドオピニオン、サードオピニオンを受けるよう説得を試みたが、頑として積極的治療を拒否したそうだ。
叔父さんの娘である私の従姉妹は、切なそうに悩んでいた。
叔父さんは、余命が分かってからも普通に過ごしたいと、家で過ごし、趣味の木彫りや、これまで通り畑仕事をして様々な苗をうえたり、それまでしてきた歴史の研究の会に参加したり。
叔父さんは自分の最後の生き方を自身が決めたように思う。
私が最後に会ったのは、おじさんの家に行った時に、家の横の畑で耕運機を動かし、「おじさーん」と呼ぶ私に「おー!おばちゃんは家にいるよ〜」と手を挙げて元気に答えて、こっちに歩いてきてくれた姿。
9月のことだった。
私が出産したのは10月末。実は10月の中旬おじさんはいよいよ体調を崩して入院した。
最後に会ってからわずか半月後のこと。
最後に会った時の姿のままに。
出産後の11月、里帰りしていた私は入院中のおじさんに会いに行こうと思えば、いけた。
だけど、散々悩んだ挙句、行かなかった。
最後に会ったおじさんの姿、とても生き生きしていて、その姿を私の脳裏に仕舞うことにしよう、と決断した。
年末頃には動けなくなって、足が熱くて布団から出すことも自分でできなくなっていると聞いていた。
おしゃれなおじさん。そんな姿を、誰かに見られるのは本望ではないのでは?という気がした。
わたしがおじさんだったら、
元気に会えたその時の姿だけど、覚えていて欲しい、そんな気がした。
あとのまつり
もっともらしい理由を並べて、会いに行く決断ができない日々が続き、会いに行かないことに決断した。
それはただ単に、「余命」という言葉を受け止めきれなかっただけなのかもしれないし、弱っているおじさんの姿を見たくない、というわたしのエゴだったのかもしれない。
でも、後悔はしていない。
お葬式で叔父さんの亡骸に会った時、やはりお見舞いに行かなくてよかったと思った。
いろいろ考えたら後悔してしまうのかもしれないけれど、後悔せずに最後に会った叔父さんの笑顔を記憶にとどめ、
別れなければいけない人との最後の過ごし方
「余命がわかるのは、突然の事故で別れなければいけないよりも心の準備をする時間があるのだからましだよ。」
これは、従姉妹が叔父さんの余命を知った時に友人の看護師さんに言われた言葉らしい。
従姉妹は気持ちを整理するかのように、この言葉を何度も繰り返し、残りの時間でできることを模索し、一所懸命向き合って過ごしきっていたようにみえる。
でも、余命がわかるからそれができるけど、わかるからこその辛さもある。
寝顔も寝起きも平気で見せれるくらいの身近な人ならば、最後の苦しい時間を共にするのもいいのかもしれないけれど、
相手とのこの世での最後の時間をどう過ごすのか、自分の生き方が問われているような気がした。
叔父さんが亡くなった今、
叔父さんに勧められたきり、読んでいないノルウェイの森をいつか読んでみようかと思ったりしている。でも村上春樹が苦手だから、まだ先のことになりそうだけど(笑)
そんなことを思ったのも、叔父さんの死がきっかけ。
死という別れは相手との関係の終わりなようであって、私が生きている限りは終わりではないと思った。
残された人の中に生き続けるのはこういうことなのかもしれない、と30過ぎてなんとなくわかってきた気がする。